2017 10 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. »  2017 12

ビジネス上のフロントマンが違法ダウンロードについて強く言及するのはあまり効果的では無い

 【29//2014】

ビジネス上のフロントマン、つまり客と接する、音楽ならアーティスト本人、映像なら役者や監督自身、が
ついつい、違法ダウンロード云々について、マジレスしてしまう事ってあると思います、不景気ですから気持ちはわかります

ビジネス上の裏方の人が言うのは当然で、是正する努力など、色々やるのは全くもって正解なのですが
フロントマンが、そういうことを言うのはあまり効果的では無いと思うんですね

何故かというと

まず、ある意味夢を売ってる前線の人間がそういう金の生臭い話をするなっていう事が一つ

もう一つは、ぶっちゃけた話、長くネット使ってれば、違法にダウンロードした音楽や映像を一度も見聞きしたことが無いっていう人はいないはずです
Youtubeで音楽聞いたことあるでしょ? TV番組とか見たことある人いるでしょ?
一度や二度見聞きしたことある人の方が多いでしょうよ
つまり、こういう事に対して、殆どの人が、微妙に忸怩たる思いのある人が多いはずです
当然、そんなこと一回もしたことありませんと、言う人いると思いますがね

で、そういう状況を前提で、急にこういった問題に言及されちゃうと
受け手としては、ちょっと「あっ・・・」ってね、萎縮しちゃうんじゃないかと思うんですよね

なんだろうなぁ、良い例えが見つかりませんが
過去イジメに荷担した事がある人が、イジメはダメだよな!って言われると、分かってるしもうやるつもりもないけど
「う、、うん・・・」みたいな気持ちになるというかね
わかりにくいか・・・

でね、これ一番の問題は、たぶんですけど、知らず知らずにでもフロントマンの人も人生何回か違法にネットで見聞きしてる事あるはずですよ
それをツイッターやブログから掘り起こされたらどうします?って話なんです
一度、強く言及しちゃうと、後で掘り起こされた場合、ぐうの音も出なくなりますよ?

ツイッターをバカッターなんて揶揄されますが、本当にそうなんですよ
特にヘビーユーザーとういか、つぶやかないといられない人は、掘り起こされやすいです
だって、何でも喋っちゃってますから、いくらでもネタがごろごろ出てくる可能性が大きいです

で、どうしても言わなきゃいけない状況があった場合
以前、某女優さんが良い返答の仕方してましたね

「デジタルコンテンツの無料化はもう仕方がないと思ってます。だからこそ購入してくれる人にはより感謝してます!報告いただけると安眠できます!」

みたいな言い方されてまして、無料化というのはちょっと適切な単語ではありませんが、ギリギリのラインで正解かなぁと

最初の一文、「デジタルコンテンツ」という言い方は、凄く正しい認識
つまり、あるコンテンツをデジタルにした瞬間に、コピー&配布が容易なってしまうことは避けられない現実であるという事をきっちり認識されてます
そして、その上で、別に容認した訳ではないということもわかります

つまり、そういう現実をきっちり認識した上で、だからこそ、本当に買ってくれてる人にはよりいっそうの感謝をしたいという事をおっしゃってます

敢えて言及するなら、これが正解にかなり近い回答じゃないかなと思うんですね
まぁ、容認しているわけじゃないという事はもう少し明確に書いた方が良いと思いますが

闇雲に陳腐な正義感で言うのでは無く、きっちり現状を認識出来てると言うことがうかがい知れます

理想だけしかいわないからメンヘラ・馬鹿扱いされるんです、理想しか言わないならビジネスやめた方が良いです

この言い方なら、受け手にもすんなりメッセージが伝わってくると思います
因みにこのツイートでこの女優さんより好きになりましたよ


ということで
各分野のフロントマンの人、面倒くさい問題に言及する場合はお気をつけください
スポンサーサイト

Category: 俺論

Theme: 俺論

Genre: その他

Comments (0) | Trackbacks (0) | トップへ戻る

社会の正義と悪 メディアの義務と責任

 【15//2014】

最近気になった話題やニュースとしては
最近最終回を迎えた抗議でスポンサーが降りたり最終的には番組内容を変更したりしていた日本テレビのドラマや
関連したところで、ちょっと古いですが、同じ日本テレビの大晦日の例の番組にBPOという謎組織の審査にかけられたりもしましたね(そもそもBPOは社会的に問題になる前に業界で押さえてしまいましょうという事なのである意味正しいのですが・・・)
また、ある記事で、日本とチャイナの国家の統治の違いは文化で治めるのか権力で治めるのかの違い、というものを見ました
中日ドラゴンズの応援団に暴力団関係者が混じっていた可能性があり、身元の提出を求めたら、提出せずに辞めていったという話
PC遠隔操作事件の容疑者の保釈の件
あとは、忘れてはいけない、STAP細胞と佐村河内さんの件ですかね

ま、これらは全然関係無いようで、何となく繋がる事があるように思うんですよね
以下、それぞれの話題についてまとまりのない話を書きますが、何となくゆる~く話は繋がってるつもりです


日本は、2600年の歴史から紡ぎ出された
文化、風習、慣習、、、こういったものから自然にできあがったものが根底にあり
そういった自然とできあがったものによって、自然と団結している
だから、天皇という人類史上あまり例のないタイプの存在が国を治めている
京都御所にはお堀がないのも、他の人類史を見てもちょっと考えれませんよね
このようにみても国民の総意で、望まれて天皇をいただいているという所がよくわかります
天皇自体も自然とこの日本という国の一部となっているという事です
ですから、これを否定することは自分達の歴史や文化や慣習、価値観、ひいては自分達自身のアイデンティティを否定することにもなると言えます
よって、日本はある意味、ルールや法律などで国が治まっているのではなく
文化歴史で団結、繋がっている、纏まっているという事になっているんですね
それをあえて明文化したのが大日本帝国憲法という事になるのではないかと
ここが他の新興の人造国家と決定的に違う所ですね

最近の傾向で少し気になる事があります
私も何度もこのブログで書いてますが、コンプラ問題等々についてです
法令遵守というと小難しいですし、範囲が限定されてしまいますので
社会のルールを守りましょうという事だという話に広げてみたいと思います
社会のルールを守ることは重要です
ただ、昨今は、「社会のルールを守る」という事に対して、相互に加減を知らないと感じることが多いです
本当に社会のルールを守ろうとしているのだろうか
もしかしてそれは個人や特定の人達の利益を守る(確保)するために、「社会のルールを守る」という事を利用されているに過ぎないのではないだろうか

自分、個人というものを本気で考えたことがある人ならわかると思いますが
自分がいかに無秩序でカオスであるかがわかると思います
ですが、人間は一人では生きていけない、非常に脆弱な生命体です
集団で行動しなければ存在できない生命体なのです
つまり、コミュニティを形成する事がイコール存在する絶対条件であるとも言えます
人間は個人としてはカオスです
とても、集団で存在できるようなものではありません
それを可能にするためのルールなのです
つまり、生存と引き替えにルールを受け入れているわけです

生きるためにはコミュニティのルールに従う事は必要
ですが、現代では、あまりにもそれに頼り切っている、もしくは、崇めすぎている
つまり、良い「加減」では無くなっていると感じるのです

社会が決めたルールが絶対的な正義であり、それに従わないものは悪である
これがあまりにも過剰になってきているのではないかと思うのです

「社会が決めたルールが絶対的な正義」と言いますが
法律で言うと、法律を作るのは政治家ですが、今、投票率は50~60%ぐらいが普通ですよね、どの選挙でも
で、更に、その過半数以上の票をとると当選するということは、全体の25%の票ということで
更に、組織票が10%前後あると仮定すると、残り10%前後となりますので
つまり全体の10%ぐらいの支持があれば当選するということになります
おかしいですよね
実際の80%が悪だとは思っていなくとも、狂信的な10%が悪だと決めつければ、社会としては悪となってしまうのです

これは選挙の話だけだと思うかも知れませんが
例えば、学校のクラスで30人ぐらい生徒がいるとして、ある出来事を悪だと言ってみましょう
これを毎日続けると、賛同者が1~2人は増えるでしょう、これで3人です
30人中3人が悪だと言い始めると、クラスの中ではその出来事は悪として扱われるはずです
他の人が絶対に正義だとは思っていないが、悪だとも思えないという感覚の場合は特に流されていきます
当然です、反論すると、同類だと決めつけられてしまうからです
悪だと思っていないにしろ、同類扱いをされ、おかしなレッテルを張られるのは嫌ですからね
みんな声高に叫ぶ声のデカイ数人に賛同するのです

私は、選挙の仕方に問題があるとか、そういう風には思いません
他に代替案が浮かびませんので、それこそ直接政治にしますか?って話になってしまうと思いますので

チャーチルも言っていますが
民主主義は最悪の政治形態だけど、民主主義を除く全ての政治形態よりもまだマシなだけです
ただし、これを自覚しているかどうかで結果は大いに違いますよね
知らずに何でも民主主義が正しいと盲目的になっていては最悪だということです
過去に書いたことがありますが、そういう中で日本のシステムはかなり優れている、もしくはその可能性を最も秘めていると感じますね
立憲君主制で、民主主義国家の形態を保ちつつも、非常に優れた社会主義システムも併せ持つ
まだまだ整備の余地がたくさんありますけどね

まぁ、話しは戻りますが、とにかく、世の中には、白黒ハッキリできるものばかりでは無い
多くのグレーゾーンが存在する
っていうことを皆理解すべきです

元々、このカオスな知性体である人間が集団で行動するなんて不可能です
最初から、矛盾を抱えているわけです、人間がコミュニティを形成するということに
ですから、どうやってルールで縛ろうがひずみは生まれるわけです
そのひずみ、グレーゾーンがある意味、そもそも矛盾した存在である人間のコミュニティというものを存続させる潤滑油として存在しているのです
その潤滑油を、真っ白では無いから、悪だと決めつけ、社会から排除していった先はどうなるでしょうか
潤滑油が無くなってしまえば、そのうち動かなくなってしまいますね
グレーゾーンが良いとは言っていません、最低限の監視や制御は必要です
ですが、一方的に社会から排除、抹殺するのは間違っているという事です

とにかく最近の社会の集団ヒステリーはヒドイ
TVの放送内容などですぐに抗議とかありますよね、間違った内容を放送しているならわかりますが
このくらいの放送って昔ならたくさんあったと思いますが、何か実際問題発生しましたかね
確かに、ある話題が引き金になったように見える事件、事象が発生する事はあるかもしれません
ただし、そういったこととは別として、世の中一定の確立で問題のある人は出てきます
それが1億も人がいるとその確率があがり、今の時代は、社会の表に出てしまうことが多くなってしまっているということではないかと思います
それをさぞそういうものが増えているかのように扱い、そして声がデカイ人間がそれにのっかり虚構の多数派を形成することになっているのではないでしょうか
だからといって放送する側には何の責任もないかというとそうではなくて、日頃から受け手のリテラシーを高めるような努力はすべきですけどね
全くやっていないというか、低下させる一方であることは事実ですが・・・

コンプラ問題だってそう
確かに最低限の日本の常識にも照らし合わせて法令は遵守すべきですが
それを盾にとって企業を脅すような真似をするならば、それは悪徳893ですよ
社会的に脅すような真似をしている方が問題じゃないですかね

893の話がでましたが、これもね、一方的すぎかなという風に思いますね
確かに、現在の日本の暴力団の構成員は、外国人の比率が非常に大きくなってきているという公安調査結果があります
ですから、やることなすことが、昔ながらの任侠道の893とは全然違う状況なんですね
もうビジネスとして暴力を使っているという感じです
ですから、そういった意味で、社会的に悪だと言われても仕方ないと思います
ただ、殆どの大きな組織の暴力団はそうだとしても、日本にいる全ての暴力団がそうだと一括りにするのは違うと思うんですね

私の親戚の爺ちゃんが地方のそっち系のお偉いさんでした
ですが、その息子含め家族は普通の人と全然関わりがないんですよね
イメージだとそういう人が家にいると家族を含め全員がそっち系かな?と思うんですが
全然違って、息子や孫も含めて普通の会社員で、普通の生活してます
この爺ちゃん、普段何をしていたのかというと、ドロップアウトした人とか落ちこぼれの若者、犯罪歴がある人などに仕事を斡旋したりしてたんです
当然、あまり学は無いので、体力勝負の仕事や腕っ節が必要な仕事が殆どですが
要するに、一般的な社会ではなかなか生きていけない人なんですよね、普通に働こうにも断られてしまうような人です
中には用心棒的な一般的にはあまり褒められたものじゃないような仕事もありますが
世の中には理屈だけでは防げないものもあって、力が必要な場面もあるんですよ

ある意味、生活保護よりも優れた社会のセーフティーネットを構築していたんです

私こういう事も知っているので、暴力団的な組織の全てが悪だと決めつけるような事に違和感を覚えるんですね


STAP細胞や佐村河内さんの件についても似たような感じですね
この方達が何か問題を起こしているとするならば、それ自体、擁護するつもりは全くありませんが
彼らへの社会の対峙の仕方がヒステリック気味にもうつります
当然、端的に言えば「騙された」的な事に対する単純な怒りもあるのはよくわかります
ただ、確認もせずに騙された事に対しては何も思わないんですかね
確認しようがなかったと言われればそうですが、でも、振り込め詐欺に騙されても同じような反応しますかね
何で確認もせずに振り込むんだよ的な意見もかなり出てくるのではないでしょうかね
逆に、騙された事実を消すために過剰に攻撃することになっているんじゃないですかね
公に対して偽ったのであればそれに対して相応の罰は受けるべきです
ただ、それを盾にして己の保身と感情のはけ口にしてるだけだと思わないのでしょうか
百歩譲って一般人は何言っても良いでしょう、大衆とはそういうものです
ただ、これらを報道した報道機関として責務についてはどう考えているのか
佐村河内さんの件は、完全にメディア側がそもそもの始まりですね
STAP細胞に関しても、発表後、様々な角度からの取材を行ったのでしょうか?発表直後からメディアは諸手を挙げての大絶賛だったと記憶しておりますが
メディアの暴力とその傲慢さに関しても、同様に制裁を受けるべきです

PC遠隔操作事件なんて、実際に容疑者が有罪か無罪かは別として、メディアの大罪は明らかです

メディアはそもそも権力の監視や社会の不正を是正していく事が責務のはずです
にも関わらず、自分達に力があると傲り、世の中を形成できると傲っていた事が佐村河内さんの件を生み
更に、本来の報道の責務を忘れ、取材もせず、単に話題性だけで飛びついた事で、問題も見抜けずに、大本営発表を右から左に流し、故にそれを棚に上げるかのように総攻撃せざるを得ないという状況を生んだのではないかと思いますが
状況としては、両問題に関して、当事者達は、法的にも社会的にも制裁を受けるべきです
そういう事とは別として、メディアの責任も同様に成されるべきだと考えます
現状でもこれらのメディアの問題について指摘する人はあまり多くありません
この状況では恐らくこの先まだまだメディアの大罪は続くように思います

こういうことには社会としては、事実だけを見て、理性的に淡々と処理していくものであると感じます
社会の大義名分は、道徳的なものであったり、法的なものであったりするわけですが
過剰になってるときに、大義名分を振りかざす人の道徳的なものはどこへいってしまっているのでしょうか
しかも、今回はそもそもの問題は、確認もせずに報道したメディアから問題が始まっているのにです
自分達の報道に対する道徳も糾弾すべきではないでしょうか


頭に浮かんだことをとりとめもなく書き殴りましたが
何となく話は全部繋がってると思うんですが、どうでしょうかね

個人とコミュニティとの関係
社会の正義と悪
ルールと大義名分
メディアの義務と責任

Category: 俺論

Theme: 俺論

Genre: その他

Comments (0) | Trackbacks (0) | トップへ戻る

芸人 の 評価 主観 と 客観

 【13//2014】

芸人(げいにん)とは、なんらかの技芸や芸能の道に通じている人、または身に備わった技芸や芸能をもって職業とする人のことを指す。
また、分野に関わらず、特に優れた技術を持っている場合に、その技術を褒め称える意味において芸人と呼ぶことがある。

近年はテレビ番組などの影響により、芸人という職そのものが「お笑いタレント」のみであるという間違った使われ方が多い。

かつては俳優や舞踊家を、さらに昔は碁打ちや将棋指しを芸人と呼ぶ場合もあったが、現代においてはあまり使われなくなってきている。

江戸時代には、芸人は芸を披露することで関所を手形なしで通ることができた。

芸人(Wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E4%BA%BA






ここで言う「芸人」は上記のような大きな範囲での芸人を意味するものとします
つまり、公で何か特殊技能を披露する人のことです
まぁ、棋士などまで芸人というとちょっと違いますので、そういった類のものは省くとします


芸人への評価って、当然、主観的なものですよね
客観的に点数付けたりできる芸って少ないと思うんですよ

で、主観ということは、その人が受け取った情報全てが考慮されるという事です

客観的な評価をいくらしようとしても、自分の中にその客観的評価をする基準を作る際に主観が入ります
したがって、必ず評価に別のバイアスがかかる事になります

つまり、芸人っていうのは、芸以外に関しては、可能な限り無人格であるべきなんです
要するに、プライベート、私的な事は可能な限り見せるべきではないんですね
それが芸に繋がる、つまり、フックになるような、芸の元になるようなものならまだしも
芸とは関係の無い、違う方向性のものに関しては極力見せるべきではありません

まぁ、芸人でも何でもない自分が言ってるだけなら意味不明な話でしょうが
よく芸人が、芸と全く違う事をやったりすると、関係者が「色がつくから・・・」と言って止めるケースが聞かれます
これはその通りなんですね、色がついたら、その色込みで芸が評価されることになるからなんです
つまり、こんな事は、昔から、芸事で生きている人々にとっては当たり前の事なんですね

以前、アニメは物語や概念を表現する事に関しては実写映像よりも優れているというような事を書いたような気がしますが(昔、富野監督が言ってたような気がする)
何故かというと、アニメの絵自体には、リアルの、余分な人格が無いからです
つまり、物語を受け取る側は、設定されたキャラクター以上のものを絵からは受け取らないからです
そうすることで、受け手が一定の表現を受け取ることが出来、実写映像に比べると格段に安定した評価ができるのです

昨今、芸人が、色んな発言をしたりして物議を醸し出す事がよくあると思います
私はやめた方が良いと思っています
どうしても何か言いたいなら、芸人を辞めて、一文化人、一般人となって言えばよろしいかと
余計な色がついて、その後の芸にも色がついた評価がされ、芸の評価が一変してしまうからです

また、芸事、つまり、自身の仕事に関して、ぶっちゃける人が増えていると思います
それが受けているというのは、楽屋落ちを見て楽しんでるだけなんですね
色が付いてしまうので、芸事のプラスにはなっていないと思います
芸を切り売りしてその場をしのいでいるだけです

端的な話をすれば
お笑い芸人が笑いのないノンフィクションのお涙頂戴的な話をしたら、次から笑えますか?
AV女優が身の上の悲惨な話をしたら、その後その女優で興奮できますか?
マイホームパパを演じる役者が幼児虐待してた場合、その人が演じる親子愛のテーマに感動できますか?
宝塚のトップスター達が、実はみんなイヤイヤ男役をやってる場合、その世界観を小馬鹿にしている場合、ファンはどのくらい残りますか?

中には逆にプラスに働く人もいるかもしれませんが、全体としてどのくらいの割合ですかね

そういうことをするのは芸事を辞めてからがベターかと、晩節を汚す可能性があっても構わないならですが
でなければ、単に、一時的な同業者との差別化や売名のためと受け取られてもしかたありませんし
芸事に対して何のプラス評価にもなっていない事への滑稽さとしか受け取られないではないかと思います
もしも本気で発言しているのであれば、本来の芸事を切り売りして自分に酔っているだけではないでしょうか

ただし、世の中、知名度を利用し、仕事として、特殊な発言・行動をする場合がありますよね
芸人がそこまで落ちるともう評価しようがありません

Category: 俺論

Theme: 俺論

Genre: その他

Comments (0) | Trackbacks (0) | トップへ戻る

松本人志 の つぶやき の 語尾 「。。。」 について

 【24//2013】

自分が松本人志さんのファンだという事を前置きした上で


松本人志さんのtwitterでフォローしてる人って結構いると思います
そんなに頻繁につぶやく方ではありませんが
たまに近況報告も兼ねた適当なことをつぶやいてますよね
お笑いの大御所ですが、最近は色々厳しい批評も多く
一般的には、つまんねーという批判で埋め尽くされています
まぁ、そもそも芸人だからいつも面白くないといけないのか?という疑問もありますが

ただ、少なくとも、多少は面白いことを言わないといけないという意識は受け取れますよね
意識してなのか、職業病として無意識でなのかはわかりませんが

勝手な印象でしかありませんが、無理してるんだろうなぁ という風に感じるんですよね

やっぱり、彼は、もう、松本人志を演じるしか無い、もしくは、演じる事が既にアイデンティティになっていて
本人はそれすらも自意識として無いというふうに感じます
前に「松本人志の横山やすし化」という事を書きましたが
横山やすし氏も舞台の上ではああいうキャラでもプライベートはものすごく気の小さい人間だったと言われています
ですから、プライベートであっても人が見てる前ではそういうキャラクターを演じざるを得ず
定常化すると、もうそれが本当なのか偽りなのかもわからくなるという状況
そして、それが自分でもよく分からない不安を与え、余計におかしな行動に走らせる
細部は違いますが、似たような状況が松本人志を覆っているのではないだろうかと

そこで気になってくるのは、彼の文体です
必ずと言っていいほど、文章の語尾に「。。。」がつきます
非常に特徴的ですよね
通常こういった語尾は、文章に余韻を残したり、微妙な気持ちを表現したりする効果があるように感じますが
彼に関しては、必要もないような文章でもつけたりしてますので、そういった普通の意味では使ってません

ここで少し話しは変わりますが、文体について
ネットでテキスト表現する際に、気をつけるべき事として
普段(仕事や学校など)の文体と違う文体を使うべき
という事があります

何故ならば、大量のテキストがあれば、文体で特定できてしまう可能性があるからです
例えばですが、よくネットで自演なんてありますが
あれは、IPやらIDを変えればOKなんじゃなくて
必ず、文体を変えないといけません
しかも、本格的に自演をやる人はどんな焦った状況であっても
いくつもの文体を使い分ける器用さと冷静さが必要です

このように、ネットでのテキスト表現に関しては、文体というのは非常に重要です

文体を変える一番てっとり早く、よく使われる方法は
語尾を変える
というのがあります

例えば

おはようございます
おはようございます。
おはようございます!
おはようございますー
おはようございます~
おはようございます^^

かなり受け取る印象が違ってくると思います
このように意識して語尾を工夫することで、普段使っている文体の印象を変えることができます
顔文字とかよく使うと良いかもしれません
例えば、常に語尾に「!」と付けておくと、何か元気なイメージを受けます
常に「。」を付けておくと、落ち着いた印象をうけます
顔文字は種類が大量にあるので、状況によって使う文字を変えておけば印象が特定されることは無いでしょう
あとは、句読点の位置などですね

ここからが本題ですが、こういった事を強制的に行う事のもう一つの効果として
文章の無人格化
というのがあります

文章というのはどうしてもその人の、その時の感情、キャラクターなどが出てしまうものです
やはり、そういった中身の部分を見せたくありませんよね
ですから、文体に規則を作って、必ずその文体を踏襲することで、文章を無人格にさせるのです
もしくは、その規則から想定できるキャラクターに統一するということです

これって実はかなり重要なことで
ネットでテキストでやりとりしてるとどうしても意思疎通が難しかったりしますよね
うまく伝わらなかったりして、よくレスバトルとか言われますがそういったことが起こります
やはり、ネットでは感情的になった方が負け というのは当たってると思いますので
常に文体を強制しておくことで、どんなときも自分の感情や状況を周囲に読み取らせないという効果が期待できます
それによって、相手も自分も冷静な対応が可能になもなるでしょう
まぁ、文体によっては、相手を煽ってるように見えるかもしれませんがね・・・
その辺は常に統一しておけば、あとはカッとなった方が負けというか・・・

ここで最初にもどって「。。。」について考えてみましょう
彼が上記で述べた効果を意識してかどうかはわかりませんが
彼がこういうった効果を無意識に望んでいるのではないかと感じます

ツイッターをはじめたのも世の中の流れから仕方なくの面があるでしょう
ですが、やはり若い頃よりも反射神経が鈍ってきているのも自覚してるでしょう
生の文章をさらけ出して周囲に自分を見透かされるのも怖かったと思います
また、この語尾には非常に照れが感じられます
結婚される前までは、結婚すると笑いが取れなくなるような事いってらっしゃいましたから
自分のプライベートが見えることにかなり抵抗があったと思います
更には、当然、周囲は、芸人松本人志のセンスを期待するのはわかりきってますので
それに対するプレッシャーもあったと思います
これら全てを解消、もしくは、少しでも緩和するための語尾「。。。」なわけです
常に語尾を統一しておくことで、その時々の生の松本人志を極力読み取らせないようにしているわけです
また、「。。。」は、しゃべりとしての表現は難しいですよね
つまり、テレビや舞台での松本人志とは違いますよという表現にもとれます

このように私からは
「。。。」には、芸人松本人志の様々な苦悩や迷いが感じられるのです

そろそろ肩の力を抜いたらどうかなと思います
笑いは学習するものですから、大量生産される笑いに慣れきった現代の若い世代は大量消費することで分かった気になって、マンネリだとバカにするものです
周囲の評価は気にせず、映画に走って評価を欲しがるような事もやめ
純粋に自分の笑いをやっていって欲しいなと思います
地上波だともう自分の好きなことはできないでしょう
CSやネット配信に場所を移したらどうでしょうか
CS番組なら多少カッコもつくでしょうし、何やっても基本番組苦情なんてきませんよ

いつ引退されるのかわかりませんが、それまでに一度は、昔に戻って純粋に笑いをやってはいかがでしょうか

Category: 俺論

Theme: 俺論

Genre: その他

Comments (0) | Trackbacks (0) | トップへ戻る

速さ こそが 絶対的 な 価値

 【23//2013】

2001年に放送されたアニメでスクライドというのがあります(この頃はまだよくアニメ見てました)
知る人ぞ知るというか、結構好きな人多かったと思うんですよね
一昨年?ぐらいに10周年ということで総集編&新作カット追加の劇場版が作られたぐらいですし
で、全部見たこと無い人でも、ストレイト・クーガーの早口台詞は知ってる人多いと思います
まぁ、実はクーガーだけじゃなくて、あの時代には珍しく男臭くて熱くて良いアニメなんですけどね

そのアニメのクーガーが最初に登場する所で最初の早口台詞を言うのですが、これが実に的を射ているんですね

ストレイト・クーガー
「この世の理はすなわち速さだと思いませんか
物事を速くなしとげればそのぶん時間が有効に使えます
遅いことなら誰でも出来る、20年かければバカでも傑作小説が書ける!
有能なのは月刊漫画家より週刊漫画家、週刊よりも日刊です
つまり速さこそ有能なのが、文化の基本法則!」


よくよく考えてみると100%同意はできないでしょうが、意外と納得できるんですよね
確かに、文章力が無い人が20年かければ傑作小説がかけるのか?と言われれば、それは無いでしょうし
世にいる月刊漫画家の全てが週刊漫画家よりも劣っているのかと言われれば違うでしょう

ですが
・この世の理はすなわち速さである
・速さこそ有能なのが文化の基本法則

この2点はよくわかる話です

早ければそれだけたくさんのことが記憶、蓄積されるわけです
つまり、未来を予測するためのデータが他の人よりも多くなると言うわけで
予測する未来の正確性、多様性は大きくなり
結果として、新たに作られる現在の可能性も大きく広がるという事になります
可能性が広がれば、文化的発展の可能性も広がります

よって、上記2点は正しいと言えるのではないでしょうか


速さこそが、力・・・

クーガーの速さへの拘りを単に面白台詞として楽しむのも良いですが
こう考えると納得できるのではないでしょうか

Category: 俺論

Theme: 俺論

Genre: その他

Comments (0) | Trackbacks (0) | トップへ戻る

時間 って何だろう 3

 【13//2013】

では最後に前の話も絡めて一緒にまとめておきます


人とは

感情の動物であるなんてよく言われます

しかし、単に、センサーと記憶領域と関連サーチ検索システムを持っているに過ぎず

それらの活動の妙によって、心なるものを形作っているに過ぎない

体の中に、心が存在しているのでは無く

体が、心を形作っている

心とはそれがそれとして存在しているのではなく

肉体への刺激に対する反応の蓄積による結果でしかない

単に外部からの刺激に対して行動してるに過ぎず

人が崇高であると思いたい理由である感情や思考というものは

単にその積み重ねの結果でしかない

よって

 人とは 経験(思い出) の 積み重ね(蓄積) である


時間とは

 過去・・・記憶、経験

 現在・・・瞬間

 未来・・・予測


人とは経験の積み重ねであるとするならば、積み重ねる「時間」があるという事です
つまり、人と時間は切っても切り離せない関係にあるという事
人にとっての時間は根源的な存在とも言える


無限の可能性がある未来を

過去の記憶と経験から、予測し

今この瞬間の現在を作っていく

現在は次の瞬間には過去となり、未来への糧となる

この無限の繰り返しにより人は人として存在している

一見、時間が無限に循環しているように見えるが

現在を作るのは人の体であり、それを過去として記憶と経験にするのも人の体である

人の体は有限であるから、時もまた有限である

未来は作るものではなく、予測するもの

作るのは現在

予測の仕方、見方、考え方が変われば

作られる現在もまた違ったものなる可能性があり

また、その作られた現在から積み重ねられる過去も違ったものになる



科学的な時間ではなく、人としての時間という視点での妄想をダラダラ書いてみました

SFではよく「説得力より納得力」なんて言われ方しますが
概念的な話の場合には納得力が大事ですね
今回の話は納得力が高かったでしょうかね

人についての話から数えるとホントにダラダラと書いてきましたが
やっとここで一区切りといったところでしょうか
因みに、人間の思考なんてちょっとしたことで変わるものです(無責任な!)
またここら辺の話で加筆修正する事があればその時にまた

Category: 俺論

Theme: 俺論

Genre: その他

Comments (0) | Trackbacks (0) | トップへ戻る

時間 って何だろう 2

 【12//2013】

元々、人は、月や太陽の動きを時間と捉えていました
ですから、時間は存在しているものではなくて
何かの結果として時間が存在するor認識される、という方が正しいのではないかと思うのです

時間の中の議論で良く出てくるワードは
「過去」「現在」「未来」
ですね

ただ、様々な意見が世の中にありますが、個人的にはどれも正しいと思うんですよね
キリスト・ユダヤ史観的な過去の積み重ねの因果によって未来があるという考え方
そして、逆に、無限の可能性を秘めた未来が自分に向かってくると言う考え方
まぁ、どれが正しいというよりも、どれも正しいと思うんですね

以前書いた、人は記憶の積み重ねという話で

積み重ねということは、積み重ねる「時間」があるという事
つまり、人と時間は切っても切り離せないものだ

という話を書きましたが

当然物質は時空に存在しているので当たり前の話ですよね

ただ、人という知性体の特性と時間の関係性に注目すると

時間は物理数学的な説明じゃない部分が出てくるような気がします

過去の積み重ねの因果、つまり、過去とは、人を中心に考えると、経験や記憶ということになりますから
経験や記憶の積み重ねの因果、結果として、現在と未来があるということになります

要するに、経験や記憶の積み重ね(「過去」)から、無限の可能性がある「未来」を予測し、この瞬間を行動する事で「現在」がある
という事です・・・わかりにくいですかね

私は未来は「存在している」とは思いません、現在や過去は存在しているでしょう

現在は、今この瞬間が存在していますし、過去は、経験や記憶として存在しています

ですから、未来が「ある」という風には思いません

未来は存在しないからこそ、人はよりそれを求めるのではないかと
無い物ねだりではないですが、存在しないものだから、わからないから、理解できないから
人は、過去の経験や記憶から、未来を予測し、現在を作っていくのだと思うのです

ですから、最初にいったように、誰の意見が正しいというわけじゃなく、みんな正しいと思うのです
ただ、私の感じ方を表現するならば、こうなるというだけですね

敢えて未来を考えるとなると、それは、当然、自らへと流れてくるもので、無限の可能性があり
それは、過去の経験や記憶から、人が流れてくる未来をどのような現在にしていくかという事であると思います

この辺の解釈って、以前書いた人って何だろうって話にも繋がっていく話なんですよね
(あの時は途中で書くのが大変になって諦めましたが、続きだと思ってください)

人にとっての時間とはこういった存在であるからこそ
必然的に人はこういう存在であるとも言えるのです


(続く)

Category: 俺論

Theme: 俺論

Genre: その他

Comments (0) | Trackbacks (0) | トップへ戻る

時間 って何だろう 1

 【10//2013】

物理学者でも、時間って何?と聞かれたら答えるのを躊躇するでしょうね

恐らくは、物理数学的な見知からの解答であったり、具体的な、例えばこの原子の振動が云々と言った話になるのかもしれません

でも、恐らく、それは普通の人が求めている解答じゃないですよね
知りたいのは時間っていったい何なんだ?って所でしょう

wikipediaによると

1.ある時刻と別のある時刻の間(時 - 間)。およびその長さ。
2.時刻。つまり、時の流れの中の一点のこと。
3.(哲学寄りの概念)空間と共に、認識のまたは物体界の成立のための最も基本的で基礎的な形式をなすものであり、いっさいの出来事がそこで生起する枠のように考えられているもの。

との事
あとは、これらの微妙な解釈の仕方で色々な意見があるという感じでしょうかね

単位とか長さとかそういう方向での解釈になるとそれほど意見の相違は無いのだと思います
基本的には学者も一般人もあまり変わらないと思います

最も様々な意見が出るのが、時間の「流れ」についての解釈です
これは学術的に明確な定義が確定されているわけでもないので
それぞれの価値観や感覚的なものが多いのだと思います
時間観、時間に関する感覚という事ですね


学術的な見方ではなくて、概念や認識的な方向で考えたいと思います


西洋的な輪廻転生のような時間が循環するような感覚は私にはありません
自分は仏教的な諸行無常の感覚に近いですね

物事はすべて移ろい行くものであり、不変な存在などない(諸行無常)
アビダルマ「すべての存在は極分化された一瞬にのみ存在し、瞬間毎に消滅する」(刹那滅)
・・・wikipediaより

ここら辺に近いと思います


アウグスティヌスは時間を内面化して考えた。
時間は心と無関係に外部で流れているようなものではない。
過去、現在、未来と時間3つに分けて考えるのが世の常だが、過去とは《すでにないもの》であり、未来とは《いまだないもの》である。
ならば在ると言えるのは現在だけなのだろうか。
過去や未来が在るとすれば、それは《過去についての現在》と《未来についての現在》が在るのである。
過去についての現在とは《記憶》であり、未来についての現在とは《期待》、そして現在についての現在は《直観》だとアウグスティヌスは述べる。・・・wikipediaより

今回、自分の考えを整理するために色々調べた範囲では、このアウグスティヌスの解釈が最も自分の解釈に近かったです


カントは、時間、空間の直観形式でもって、人間は様々な現象を認識すると考えた。カントにおいて経験的な認識は、現象からの刺激をまず外官(外的なものからの刺激を受け取る感覚器官)によって空間的に、内官(内的なものの感じをうけとる感覚器官)によって時間的に受け取り、それに純粋悟性概念を適用することによって成立する。空間は外官によって直観され、時間は内官によって直観される。・・・wikipediaより

カントのこの解釈も、私の人に関しての認識と時間との間を繋ぐ部分として、非常に同意できる部分が多いです


(続く)

Category: 俺論

Theme: 俺論

Genre: その他

Comments (0) | Trackbacks (0) | トップへ戻る

名言 「嘘は特に本当」

 【06//2013】

この前、オオカミ少年の話についての真の教訓として
「同じ嘘を2回つくな」
という話を書きましたが
もう一つ同番組からガラックの名言として

「嘘は特に本当」

というのがあります

ガラックが嘘ばかりついて真実を教えてくれないので
Dr.ベシアはやっぱり本当の事は教えてくれないんだと諦めたような事を言う
それに対しガラックは
「教えなくたってわかるはずですよ」
「細かい話しをつなぎ合わせれば良いんです」
「テーブルの上にある細かいパンくずを集めるようにね」
と話す
また、その後の話しで
過去の話を色々聞きたいと話すDr.ベシアに対し
ガラック「そのことはもうお話ししたと思いますけど」
Dr.ベシア「君の話したことは、全部違うじゃないか。どの昔話がホントでどれが嘘なのか、今度こそスッキリ教えてもらいたいねぇ」
ガラック「困ったなぁドクター、全部本当ですよ」
Dr.ベシア「嘘も本当?」

ガラック「嘘は特に本当です」


前半の話しと後半の話しは、TVシリーズの中ではだいぶ間があいてるので気がつきにくいと思いますが
実は話しとしては繋がっているんですね

つまり、どんなに高度なレベルの嘘をつき続けられる人でも、その嘘の元となる本当(真実)の話が無いと嘘を作ることはできません
何故ならば、あまりにも荒唐無稽な話だと、嘘だとすぐにバレてしまうからです
よって、荒唐無稽な話よりも、嘘は限りなく真実がたくさん詰まっているということなのです
ですから、前半の話しで、細かいパンくずを集めていけば、正解にたどり着けるという話になるのです


高度な嘘をつき続ける事の難しさがわかりますし
逆に、嘘の見破り方や、人の話、情報の読み取り方も分かるのではないかと思います
ネットは99%の嘘と1%の真実ですが、1%の真実の見分け方とかの参考にもなりますね

Category: 俺論

Theme: ひとりごと

Genre: 日記

Comments (0) | Trackbacks (0) | トップへ戻る

名言 「狼と嘘つきの羊飼いの少年」の真の教訓

 【02//2013】

イソップ童話 「狼と嘘つきの羊飼いの少年」

羊飼いの少年が、退屈しのぎに「狼が出た!」と嘘をついて騒ぎを起こす。大人たちは騙されて武器を持って出てくるが、徒労に終わる。少年が繰り返し同じ嘘をついたので、本当に狼が現れた時には大人たちは信用せず、誰も助けに来なかった。そして村の羊は全て狼に食べられてしまったという話。

人は嘘をつき続けると、たまに本当のことを言っても信じてもらえなくなる。常日頃から正直に生活することで、必要な時に他人から信頼と助けを得ることが出来るという教訓を示した寓話であると一般には受け取られている。日本においてはこの話を由来として、嘘を繰り返す人物を「オオカミ少年」と呼ぶことがある。

・・・wikipediaより



殆どの人がこういう風に覚えていると思いますし、嘘を繰り返す人をオオカミ少年と呼ぶでしょう
ですが、私の好きなDS9では、こんな話があります

Dr.ベシアがガラックに対し、オオカミ少年の話をし、ガラックがいつも嘘ばかりつく事に対し皮肉を言う
しかし、ガラックは子供の話にしては残酷な話だと言い、気にもしない反応を見せる
Dr.ベシアは仕方なく、「いつも嘘ばかりついてると、いざ本当の事を言っても、誰も信じてくれなくなるんだよ」と話す
それに対しガラックは「それが教訓ですか?」と驚いた表情を見せる
Dr.ベシアが「他に何がある?」と言った所で、ガラックは自分なりの教訓を言う

「同じ嘘を2回つくなって事ですよ」


これね、まぁ、文章ではなかなかおもしろさが伝わらないので、やっぱり実際見て欲しいんですが
役者さんの表現力とかもありますからね
ガラックは元スパイで
「嘘をつくにも、常に高いレベルを保つために、日々訓練が必要だ」
「真実とは想像が働かなくなったときに口から出てしまうものだ」

という人物です
そういう視点から見ると、オオカミ少年の話もこういう見方ができるんですねぇ
みなさんどう思うかわかりませんが、個人的には非常に好きな名言です

基本的に常に真実を語っている人なんていないと思うんですよね
ある意味みんな毎日嘘ばかりついてると言ってもおかしくないと思います
そういった意味で、高いレベルの嘘をつき続けるには、同じ嘘を2回ついてはいけないという教訓としてのオオカミ少年という見方は良いですね
高いレベルの嘘をつき続けられれば、今頃オオカミ少年は村の英雄となっていたでしょうね
英雄となってしまえば、あとはどうにでもなりますね、大勝利です、世の中そんなものです、せちがないですね

Category: 俺論

Theme: ひとりごと

Genre: 日記

Comments (0) | Trackbacks (0) | トップへ戻る