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肉体の拡張と精神の拡張

 【17//2013】

以前少し触れた、肉体の拡張=精神の拡張という事について

人の心のメカニズムについて書いた事とかぶるので、何となく理解してもらえると思います
肉体の変化は心の変化です

ちょっと変わった例をあげます
よくバイクにのると人が変わるという人がいると思いますが
非常に正しいです
自動車も同じ事が言えますが、自動車よりもバイクの方が直接的です
自動車は、全体が外界と空間とで隔離されていますが
バイクは直接肉体が外気と触れていますから
まるでバイクの力が自分の力になっているような錯覚を感じるのです

肉体の拡張というイメージはこのような所にあります

SF的な事を言うと、ガンダムのMS等々の搭乗型の人型ロボットの場合は
人型であるが故に錯覚も大きいのではないかと思います
よく表現されるパワードスーツ系のものは多くは精神に著しい影響を与える話が多いです

肉体の拡張は何も具体的に肉体が進化しなくても、こういった事で拡張は可能で
それに対して精神も拡張していくということがよくわかるのではないかと思います

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「最近は貧乳好きが多い」という、「貧乳による願望・錯覚」 を 打ち砕いてみる

 【06//2013】

確かに、貧乳が好き という人はいます
しかし、これは本能的な反応ではなく、文化的な、二次的な反応です

何故、人間のオスは乳に性的興奮を感じるのか?
元々、四足歩行してた時代は、下向きに付いてるので乳なんて正面からも横からも隠れてるから、授乳以外の意味はありませんでした
ですから、その頃のセックスアピールは、生殖器そのものか、おしりだったわけです
しかしながら、二足歩行になった時、生殖器が隠れてしまったため、変わりに乳の発達がセックスアピールになったわけです
したがって、人間のオスが乳の発達に性的興奮を覚えるのは至極本能的な自然な反応なのです

では、貧乳好きとは何なのか?

例をあげます

昔、SFマニア = ロリータコンプレックス という時代がありました
どういうことかと言いますと、SFマニアの間で所謂ロリコンが流行った時期があったんですね
集まると、皆、自分がいかにロリコンであるかを競い合うわけです
馬鹿みたいな話ですが、ネットでもロリコンを主張する人がいると思いますので、何となくわかってもらえるのではないでしょうか
何故、ロリコンが流行ったかというと、SFマニア特有の選民意識的なものが深く関わっています
これは、別にSFマニアならず、どこの世界、いや、普遍的に人間にある感情なのですが
簡単に言ってしまえば、「俺はおまえらとは違う、特別なんだ」という意識です
特にですね、「SFマニアをやる」には、相当量の知識が必要です、これは他のジャンルの比ではないと断言できます
この時点で、既に、「SFマニア=知識人」な意識が生まれるわけですね
その状況で、漫画家の吾妻ひでお氏等々の影響もあり、SFマニアの間にロリコンが認知されるわけです
で、何が起きたかというと、
「普通の奴らは、おっぱいでっかい姉ちゃんのAVとか見てるんだろ?」と
「俺らは、おまえらと違うんだよ?」と
「俺らは、おまえらなんかにはわからないだろう、ロリータに行くんだよ」
「おまえらには、ロリータの良さはわからないだろ?」と、こうなるわけです
つまり、選民意識から出た他者に対する優位意識が生み出したものであったわけです
ですが、では、全員が本気でそう思っていたか?といえば、そうではありません
SFマニアが集まっても、本気でそういってる奴は一部で
その他大勢は、どう思っていたかというと
ロリータがわからない=SFマニアでは無い という意識が広く薄く全体を覆っていたため
本当は好きでもないのに、自らロリコンを宣言していたわけです
SFマニアという文化の中で起きた現象という言い方ができます

この例でだいたいはおわかり頂けたであろうと思う

確かに、世の中の人間全部がそうだとは言いません
しかしながら、そんな人間が大半であるとか、多数を占めるなんてことはあり得ないということです
貧乳好きという人も所謂、文化的、二次的な感覚から生まれたものであって、本能的な感覚ではないと言うことです
現代の貧乳好きを標榜する人も、上記のSFマニアのような例に当てはまる人はいるんじゃないでしょうか?
「おまえらは、普通のおっぱいでっかい姉ちゃんが好きなんだろ?」と
「俺は、おまえらとは違うから、おまえらがわからない貧乳に行くんだよ」と、こういう意識の人もいるでしょう
あと、付け加えると、マイノリティー的な意識も含まれていますが、まぁ、それは選民意識的な所からの派生とも言えます

文化的な側面で言いますと、現代は文化的にロリコンを増長させる状況ですね
メディアもこぞって10代前半のアイドルのかわいさをプッシュするわけで
そうなると大衆も勘違いしますし、より若い子、より若い子 となるわけです
まぁ、この児童ポルノとメディアの矛盾についてはいつか書いておかなければいけませんが
要するに、メディアが不必要にロリコンを煽っているんです
そうなると、まだ未成熟の女子に興味がわくのは当然でそれが貧乳好きの要因にもなっています
あとは、マンガやアニメの影響も当然ありますね
基本的に、出てくる人物は、10代の人間が多いわけで、必然的にそういう方向に持っていかれるでしょう
ですが、これは、本能的に、貧乳が好きなのではなくて、そのキャラクターなら貧乳がOK、もしくは、貧乳で当然だという意識だからであって
少なくとも、その人が本能的に貧乳が良いと思っているわけではないという事です
殆どの人が現実では、少しでもセックスアピールのある女性を選ぶはずです

はい、ということで、貧乳者の願望を打ち砕いてみました
世の中には貧乳が良いと言う人も当然いますし、貧乳の人も別に差別する必要もありません、個体差ですから
ですが、最近多いとかそういう夢みたいな話しは論理的におかしいということです
本能的な反応ではなく、文化的な、二次的な反応です
マイノリティですよ
まぁ、日本においては、大きさ的に普通以下の方が大半でしょうから
その状況で無い物ねだりしないだけと言いましょうか
基本的に、日本人女性は幼児体型が多いですからね

あくまでも性的興奮に関しての話しですが、もしも幼児体型でもOKならば
AVの主流も幼児体型になるんでしょうが、そうなっていないという事実を見ればわかるかと
ものすごい美人でも貧乳でお尻も貧相だと売れないんですよね、これが現実だと思います

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人(ヒト)って何だろう 4 ~まとめ~

 【05//2013】

人間は心の動物であるが、心は肉体が受ける刺激の蓄積でしかない
だが、人間はそれを非常に崇高なものとして捉える
しかし、その複雑な感情は、非常にシステマチックで論理的なものに過ぎない
よって、人間は非常に論理的な生命体であると言えると思います

スタートレックでよくバルカン人が論理的、人間は感情的だが論理的な面も持つなんて言いますが
結局、感情も論理的な判断の結果でしか無いならば、人間って何?って話しに
敢えて言い方を変えるなら、人間は、論理的な判断に時間がかかる、もしくは、弱いという言い方になるのでは無いかと
バルカン人は、記憶データの連結が非常に正確に作り上げられており
人間みたいに判断に時間をかけずに、直線的に結果を導き出せる
バルカン人の精神が強固である理由もそこからくるのだと思います
人間の記憶は煩雑で、バルカン人の記憶は整理整頓されているという事ですね
煩雑なので誤ったものと結びついた結果を出すこともある
敢えて言うならこれが人間らしさという事になるでしょうか

つまり、人間って、煩雑であるという事に・・・もしくは、カオスであるから人間であると
ん~、何か堂々巡りしそうな感じもありますが、その煩雑さも記憶システムが作り出しているものなんですね

だとしても、人って何かというと
単に外部からの刺激に対して行動してるに過ぎず
人が崇高であると思いたい理由である感情や思考というものは
単にその積み重ねの結果でしかないのだと思います


 人とは 経験(思い出) の 積み重ね(蓄積) である







さて、経験の「積み重ね」という事は、積み重ねる「時間」があるという事です
すなわち、「人」と「時間」は切っても切り離せないということになります
では、「時間」とは何でしょう?

・・・これ以上やるときりがないのでここらでやめておきます(笑)

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人(ヒト)って何だろう 3 ~心とは~

 【05//2013】

さて、人間って今後どうなっていくのでしょうか

一つの見方として、人類が今の形態になって約数十万年と言われていますから、少なくとも数万年後も特に進化等もせず同じじゃないか?との見方があると思います
学術的な研究などは、ここ数百年で急速に発達しただけですので、我々の時間の感覚の内で何かが起こるとは思えないと感じる方が多いんじゃないでしょうか
何か起きるとしても数万年、数十万年先と思うのが普通かもしれません

また、スタートレックの世界では、アンドロイドとして有名なデータ少佐や、緊急医療ホログラムドクターの光子生命体等が登場しますね
これらは、一応、物語の話ですが、今から400年後ぐらいの話に設定されています
私は、人型アンドロイドと呼ぶには、最低限、データ少佐、もしくは、EMHドクターレベルを想像するのです
スタートレックの世界ではこれだけの技術を持ちながら、人間は殆ど進化していません
精神的なレベルでも現在とそれほど変わっていないという事になっています
私もほぼ同意見です、数百年程度で人間が変わるなんて思いません

ただ、人間の本質は変わるかもしれないと考えています

人間は心の動物とも言われます
その心のメカニズムは単純だとしても、これだけ高度で複雑なシステムは他の動物と比べ特徴的なものと言えるとは思います
そして、その心の出発点は、肉体が受ける刺激とデータの積み重ねです

例えば、包丁で指を切ったら、血が出ます
これは肉体的に損傷を負うことになりますから、肉体は、これを苦痛=嫌なこと、怖い、、、等々として処理します
苦痛は嫌だから、次に包丁を扱うときは、指を切らないようにするのです
肉体的な損傷から自らを守る基本的な防衛反応から来ているのはわかると思います

ですが、ここで、皮膚を切ったとしても、一瞬で治るような力を人類が手に入れたらどうなると思いますか?
私は、当然、皮膚を切る程度の怪我に対して、殆ど、防衛しないようになると思います
また、その程度に対して、過剰に痛いと反応しなくなるようにも思います
そうなったら、どうなると思いますか?
私はそういった感情の積み重ねが、今を生きる我々の一般的な感覚や道徳などから変化する要因になると思います
そんな強固な外傷防衛システムを手に入れたら、ちょっとした暴力程度じゃびくともしませんね
どうなるんでしょうか?ちょっと想像しにくいです
人類はそのような能力を手に入れているかもしれませんが、他の動物は今のままでしょう
そうすると他の動物に対する感覚も変わってしまうと感じませんか?
そういう積み重ねが、人類一人一人、そして全体の本質を少しずつ変えていくと思います

私は
体の中に、心が存在しているのでは無く
体が、心を形作っている
と考えています

今の人間の様々な思考は、今の肉体だから、今のような思考を持っているのだと思うのです
これは、今までの話しで理解できるのではないでしょうか

ここでスタートレックの世界に戻りますが
あの世界では、ちょっとした外傷は皮膚再生装置によってあっという間に治ります
上記の例のように自律神経のように勝手に外傷が治るとはいきませんが
一般人が普通に気軽にもてるような器具で一瞬で治ります
これだけでもだいぶ人間の感覚が変わってくると思います
よく作品世界の中で、エキストラ役の人が簡単に死んだりして笑いのネタになったりしますが
私は、意図してるかどうかはわかりませんが、案外、理にかなってるのではないかと思ったりします
つまり、人間は、非常に弱い生き物ですから、様々な外部からの驚異に対して警戒するわけですが
そのうち、ちょっとした外傷程度なら何とも無いと言うことが常識になってしまったら
その警戒心も薄らいでいくとは思いませんか?
よく、恐れを知っているから、注意深くなると言いますが
まさに、それを物語っているような気がします
彼らは、ネタとして、不注意に死ぬんじゃなくて、そういう世界だからこそ、不注意に死ぬのです

私は、今後の人類は、肉体の進化の前に、科学技術による進化が起こると考えています
進化と言って良いのかわかりません、変化と言った方が正しいかもしれません
実質的な肉体の進化が無くとも、科学技術により、間接的な進化が起こり
人類自体が一つ違うステージに変わるんじゃないかと思うのです
今の我々の価値観から比べて、良いか悪いかはわかりませんが・・・
肉体の変化は精神、心の変化でもありますから
肉体が間接的に変化するならば、心も間接的に変化するでしょう
そして、人間が心の動物ならば、その変化後の人間は、今の我々が考える人間と同じなのだろうか?と

科学技術による間接的な進化と言いましたが
例えば、外傷の話で言いますと、皮膚再生装置ではなく、皮膚再生ナノマシンに更に技術進化すると肉体的な進化と見分けが付かなくなると思います
更に、そこから、皮膚再生が出来るように遺伝子操作ができるようになれば、科学技術によって進化可能ですね
このように、あらゆる科学技術がナノマシン化していき、更には、それを遺伝子操作で、単体で使用可能にする
これが続けば、私は、最終的には、スタートレックのQのような存在になるのでは無いかと思っています
スタートレックで、Qが「人間はQを越える存在になる」と言っていましたが
それは、このような過程の連続の末におこるのでは無いかと思いますね
で、スタートレックのQは少し変わっていましたよね?人間と比べるとかなり
それは、Qの全知全能、不老不死の力による所が大きいようですが
もしも人間がQを越える存在にまで進化した場合
それは人間と言えるのでしょうか?・・・難しい問題です


心とはそれがそれとして存在しているのではなく

肉体への刺激に対する反応の蓄積による結果でしかない

そして、肉体が形作る心は、肉体の変化によって左右される

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人(ヒト)って何だろう 2 ~心や行動を論理的に理解する~

 【05//2013】

改めて、言います
ホントに人間て特別なんでしょうか?
私も昔はそう思ってきましたし
また、今までも何度か、所謂陳腐な言い方としての
「人間は特別な存在じゃないんだ!動物も人間もみんな一緒なんだ!」
的な考えもよぎることもありました
ですが、今は少し違った見方をするようになりました

きっかけは、ある本と出会ってからです

人とロボットの秘密  堀田 純司

まぁ、今となってはかなり古い(2008年)本なので、現在の最先端科学と比べると少し古いかもしれませんが
当時の最先端の科学から人とロボットについて非常に俯瞰的に書かれている本です
私はこの本、SF好きだったからだと思いますが、偶然にもamazonのおすすめから知って発売して直ぐ購入したのを覚えています
因みに、amazonのおすすめから全く未知のものを購入したのは後にも先にもこれっきりです

詳しい内容は本を参照していただきたいですが
(人型、人工知能、アンドロイド型)ロボットを研究することというのは、人間を研究することと同意だということがわかってきます
人間を詳しく研究することが、ロボット研究には不可欠なんですね
例えば、何かの声に反応して、ある行動を起こすロボットの場合
声に反応するとはどういうことなのか?
それに対して行動するとはどういうことなのか?
を考えることになります
つまり、人間のそれを詳しく研究しないことには、真の意味での人型アンドロイドなんて作れないわけですね

アトムのような人間に見間違うようなアンドロイドなんて作れない
真の意味での人工知能なんて作れない

こんな風に思う人って結構多いんじゃないかと思うんですよ

私もそう思う時期もありました、やっぱりどうしても自分が人間ですから
人間と機械やその他は違うっていう感じになってしまうんです、頭でわかっている事と「本能」的な所は違います


人間の行動を考えるときの基本的な所から考えてみようということで、反射行動を考えてみると
何らかの刺激に反応して、脳を介さずに直接体が動くわけですが
この場合は、非常に機械的な行動だというは、みな納得すると思います
たぶん、プログラムも簡単でしょう
その、「ある刺激」に対する「センサー」を用意し、
そのセンサーの値を観測し、ある一定値を越えたら、体のある部位に対して必要な行動をするようにコマンドを送るだけですね
コマンドを受けた部位は必要な処理を行う
簡単ですね、これは現在の様々な一般的なロボットを同じですよね
要するに言われたように動いてるだけです

では、普通の行動に戻ってみます
反射的な行動以外の、普通の行動は、これの延長線上にあるだけです
途中に、「記憶装置」と「検索(関連サーチ)システム」が挟まるだけなのです


例えば、目の前に大好きなリンゴがあり、腹が減ったので、食べる という行動を考えてみます
※細かく話しし出すと、話のステップ数がものすごいことになると思うので掻い摘んで

視覚「センサー」がリンゴを捉えます
「記憶装置」に視覚センサーが捉えたものを問い合わせます
結果リンゴとわかるわけですが、このリンゴのページには、リンゴに関する今までの様々な思い出・経験も関連づけされています
当然、リンゴという認識と同時に、大好き、おいしかった等の個別の経験が紐付けされた状態になります
また、リンゴは食べるものという情報も入っていますので
エネルギーの状態を見ると、腹が減っている状態ならば、手や口に対して食べるように命令します

ここで重要なことは、記憶装置には、単にそのもののデータが入力されているだけではなく
そのデータに関する思い出もタグ付けされているのです
そのタグ自体にも様々な重みが付いており、印象深いものほど重みが高く
「検索システム」に引っかかりやすくなります
印象深いとは、つまりは、その思い出・経験時の様々なセンサー情報です
センサーから体がどう反応したのか?気持ちよかったのか、苦しかったのか、、、等々の事です
これによって、一つのデータを検索する際に、そのデータに紐付けされ、更に様々に重み付けされたタグから、更にデータが関連づけされるわけです
この、検索システムと重みタグ付き記憶装置の連携が非常に優秀なわけです
なんせ、この複雑な処理を一瞬にして行うわけですから

「考える」とは、この記憶装置と検索システムがグルグル回って、結果が出るまでに時間がかかってる状態の事を示します
要するに、同程度の評価結果しか出ず、決定的な答えが出ない状態なので
もっと深く検索システムを動かしている状態です

ものすごく時間がかかったりするのは、記憶システム自体が時間と共に劣化する性質があるからです
つまり、あまり使っていないデータの引き出しは開きにくくなりますし、タグも不鮮明に、そして重みも軽くなっていきます
当然、記憶領域の奥深くに沈んでいきますので、検索するにも相当な時間がかかります

突拍子もないところから急に思い出したりすることがあると思いますが
それは関連サーチと記憶システムの組み合わせで発生します

あと、この思い出・経験ですが、必ず、まっさらな状態から初めて書き込まれたものは非常に重みが強くなっています
初めての経験は、非常に丁寧に詳しく書かれるため、重みも強く、データとして非常に強固なものとして記憶されます
実は、この最初の思い出や経験というものが、その後の感情に強く影響を与えるのです
最初から強固なデータですのでなかなか変更はききませんし、逆に、変更できた場合はその反動で更に強固なものとなります

細かなことを言うと、記憶すること自体、過去の経験からやり方が異なってきます
過去の様々な経験から、記憶すること自体にもやり方が変わってきます
事実自体を重視する記憶や検索システムのあり方や、事実よりも関連性を重視するやり方等々
「記憶しよう」という行動自体も、過去のデータによる組み合わせになっています
ありとあらゆる判断がこういったシステム上に乗っかっている事で
一見、人間は複雑な行動を取っているように見えるのです

人間、「考えている」なんて高尚な事を言いますが
結局は、思い出をグルグル回して、一定の評価結果得られるまで粘っているだけなんです
評価判定値も、判定する際に、過去の経験から基づいて決定されているに過ぎません

実現するには非常に複雑なシステムを組まなければいけませんが、不可能ではありません
ただし、ハードウェアの進化はもっともっと進まなければいけません
処理の中心にある記憶システムに付属する様々な思い出データですが
この思い出の主な要因が、刺激に対する感覚だからです
つまり、ある刺激に対して、どう反応したか?が重要なわけですから
その刺激を関知する「センサー」が重要なわけです
肉体的にどう感じたかの積み重ねが思い出・経験として蓄積されるわけですから
正確にセンシングできなければいけません
人間は膨大な高性能センサーの塊ですから、更に、そのセンサーの一つ一つを小型化しないといけません
これはものすごいハードウェアの進化を必要とします
理想的なアンドロイドの1つのセンサーのサイズはナノやピコサイズになるでしょう
それらが何千何万と集まったものになるでしょうね

人間の「感情」もこういったセンサーから受け取った刺激に対する体の反応の思い出・経験の積み重ねでできあがっているに過ぎません
どんな人間のどんな感情も全て辿っていけば、何故、そのような感情を持つかは、全て分析可能なわけです
複雑だと思ってしまうのは、物理的に、本人でさえ全て辿ることが不可能なデータを他人が見ることができないからです

以上のように考えることで、人間の思考・行動分析がわかりやすくなったと思います
実は人間の行動なんて単純なものなんです、複雑ですが、非常にわかりやすいのです

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人(ヒト)って何だろう 1 ~人って特別な存在なのか~

 【05//2013】

人間 という言い方
人類 という言い方
ヒト という言い方

これらでそれぞれ言い方が違いますね

人間というと、社会性とか共同体を有するとか、そういう意味が付随しますね
人類というと、人種や文化等を越えた大きな意味での世界全体の意味が付随してくるような気がします
ヒトというと、生物学的、学術学的な分類の意味が付随してきますね

で、学者や知識人等々が小難しく語るわけですね、宗教的な方面からも語ると思います
というよりも、人間ってずっとそういう事考えてきてますよね

私がそういう話しに対して、今ひとつ乗り切れないのは
彼らが語る内容が
「人は特別」
という意識が見えるからなんですね
自分自身ですから、どうしてもそう思ってしまうのはわかるのですが、はたしてそうでしょうか

よく、人間は、先天的に言語を獲得する能力が備わっており、二足歩行することで大脳の発達がおこり
言語能力を有したことにより、高度なコミュニケーション能力を獲得、社会、共同体を形成
それに伴い、自ら考え、考察する事ができるようになった
これらが他の生物との違いだ(文字に関してはここ数百年の話)

というような事が言われます
確かにその通りですね
コミュニケーション手段ならそれぞれの生物同士で特殊な方法も含めて有してますし
社会や共同体と呼べるものもそれぞれあると思います
唯一、特殊だと言えるのは
「自ら考える、考察すること」
だと言えると思います

恐らく「人は特別」という意識もここからくるのではないでしょうか
こんなに色々考えるのは人間だからだと
人間は特別なんだと
こう思うのも自然なことなのかも知れません

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人類は基本的に保守的であり、それが真っ当である ~その6~

 【20//2013】

続き

私は、現状問題は多々ありますが、日本が人類史上最も優れた国家システムを築き上げていると思います
優れた部分はどの部分かと言いますと皇室という存在です
日本の文化歴史は神道を中心に成り立っており、その上で神道の最高位として天皇があると
天皇が国家元首でありながら、現状は、政治に関しても何の権限ももっていません
しかし、国民は、天皇の臣民であり、天皇の勅命で国民が国を動かしますが、天皇には結果に責任は無い
天皇はまさしく国家の象徴であって、国家の安定を願うのみです
これは非常に優れたシステムなのです

人間は必ず過ちを犯すものです
ルールを作るのも国民であり、それを破るのも国民であるということは
邪なものが権力を持てば、国家はムチャクチャになってしまいます
しかし、ここで天皇の権威が力を持つのです
臣民としては、何人も天皇に恥ずかしい行いはできないのです
本人が構わなくても周りがそれを許さないでしょう
この天皇の威厳からくる道徳国家という状態は非常に優れた状態なのです
人間は愚かです、必ず間違いを犯します
人の心が腐れば、あっという間に世界は破滅します
それを支えているのが、実質的な権力を持たない国家元首の天皇陛下であるということです
人間は共同体に属する社会的生物であって心の動物であるので
最終的に問題になってくるのは、個々人の心が問題になってきます
したがって、社会、共同体で最も大事なものがその心であり
だからこそ、その国家が示す道徳が重要となるのです
しかも、日本的な道徳は、誰かが作ったものではなく
神道を中心に2600年以上の間かけて築き上げていった道徳ですから
全ての要素が繋がって形成されている現在の近代的なこの国家は、世界に類を見ない優れた国家システムだと言えるのです

例えば、他の国家はどうでしょうかね
人工国家、つまり、アメリカやシナなどはどうでしょうか
シナは漢民族の歴史を繰り返すようにまたも自ら破滅へ向かっております
アメリカは必要以上に愛国心を煽らねばならず、国民の意識を保つために常に世界でNo1を求めなければいけません
これがの国に比べて王政の国家は比較的纏まっているようには見えます
少なくとも現状王政であっても殆どの王族が実質的力をもってはいません、表向きには
ただし、現状は、そうではなくて莫大な財産と権力を維持しておりますし、未だに直接的な権力と財力による影響をもっている王族が殆どです
いつかどこかで破綻すると思っています
日本の天皇のように民に望まれて元首となっているならまだしも
基本外国の王族は、武力で制圧して王となっているのですからね・・・
しかも数百年の歴史です、現状の比較的穏やかな状況が1000年ほど続けばまた違うのでしょうけど
結局、人心掌握の根拠に乏しいわけです

さて、日本は、まずは、皇統の安定が急務ですね
これが基本ですから
旧宮家の復帰は最近あまり話題になりませんが、実は、水面下でかけひきが続いていると思います
何せ、旧宮家が復帰すると本当に安定してしまいますから
日本の国家解体を目論む勢力としては、これだけはなんとしても避けたいでしょう
・・・頭を抱えたくなるような状況ですなぁ

現状、様々な問題が山積どころか溢れ出ている状況です
この状況を打破し、日本を未来永劫安定して存続させるために
よりより状況になって欲しいものです

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人類は基本的に保守的であり、それが真っ当である ~その5~

 【20//2013】

続き

こういった事は私だけが感じている事ではありません

有名な物理学者のホーキング博士ですが、当人もTNGに出演するなど大のスタトレファンとしても有名です
そんな彼が、スタトレとは真逆の発言をしています
「地球外知的生命体と接触すべきではない」
どういった生命体なのか?目的は?技術力は?何も分からない状況で簡単に接触すべきでは無いし
自ら会いに行くべきでも無いということです
会いに行くこと自体が既に相手の利益を犯している可能性もありますし
その結果、あっという間に地球が滅ぼされる可能性もあるからです
もし接触しなければいけないとしても、当初のバルカン人のように慎重に慎重を重ね行うべきでなんですね
物事は急に進めても何もうまくいきません
そして、接触する可能性のある知的生命体、地球の隣人とも必要もないのに関わるのは危険であるということですね
接触する論理的な理由が必要がある=一方の利益がかかっているということですね
何故接触するかというと相手から利益を収奪したいからであって
お互いそれを明かした上でWinWinの公平なトレードできるならまだしも、実際そういったフェアな交渉が行われたことなど歴史上殆ど無いですと思います
こういう理解は地球人だけじゃなく地球外知的生命体も似たような考察に至ってる可能性は高いですね

結局、スタトレのように宇宙探索をしたいなら、相手を圧倒できるくらいの戦力と覚悟が必要なんですよ
友好的に進めばラッキーぐらいで、もしかしたら返り討ちに遭う可能性もあるわけですし
そういう矛盾だらけの惑星連邦の辻褄を合わせているのがセクション31ということでもあるんですよね
彼らが裏であらゆる汚い行為を行うことで、表上は綺麗な顔でいられるわけです

ということで、私はDS9でよりスタトレが好きになりましたし
スタトレで自由主義的な思想に疑問をもつようになりましたし
ホーキング博士の発言で確信を持つようになりました

近攻遠交という言葉がありますが、まさにそういうことなんですね
近い、接触範囲内にあると必ず利害が発生するので仲が悪くなる
遠い、接触範囲外にあると利害が発生しにくいので仲が悪くなりにくい
簡単なことですね
何の用事もないにの声をかけてくる人はいないのです

以上が「自由主義思想は自らを滅ぼす」という風に思うようになった理由です
そういった思想はあくまでも理想として持つことは必要ですし、実際に必要なときもあるとは思います
しかし、それが中心になってしまうのは問題であるという事です
基本的に保守的思想が当たり前で真っ当であり自然であるということです

もしも、自由主義を推し進めたいとならば、前提条件として
食料、エネルギーの問題を地球全体で解決できた時のみであると考えます
歴史上、基本的にこれらが争いの元になっています

・核融合を越えるような地球全体のエネルギーをまかなえるだけのシステム
・エネルギーさえあれば食糧の問題が無くなるスタトレのレプリケーターのようなもの

この2つが絶対的に必要な事項で、更に、

・生きる上でのあらゆるサービスが地球全体で等しく利用可能であること

これも必要です、あとは蛇足で

・無駄な願望などを容易に解消可能なスタトレのホログラムシステム

これがあればちょっとした願望による争いも消えるでしょう

これだけやれば、地球市民もいいでしょう、地球政府を作って
地球全体で誰もが無料で無限に利用できるエネルギー施設を管理運営し
地球市民は無限のエネルギーを利用したレプリケーターで、基本的に普通に生きることは可能になり
また、その他医療等々の生きる上で必要なサービスも地球政府の管轄で受けることができ
ホログラムシステムのおかげで、基本、人間が普通に考える願望は何でも叶う状況になれば
無駄な争いもなくなるでしょうし、生きるためにお金も必要もありませんから、お金を稼ぐために無駄に生きることも必要なくなります
働くことはお金のためではなく、自己の向上のためになります
まさに、スタトレの世界ですね

ただ、ここまで科学技術が進歩しないと、自由主義的な思想は達成不可能ということです

ですから、自由主義的な思想をお持ちの方はまず、これらに関する科学技術の進歩を第一に推進すべきですね
でも、やってないですよね?推進しているように見えますか?見えませんねぇ
何故見えないか?それは、本当に理想のような状況を作ろうという気は更々無いということです
あるのは、結局は今の自らの利益のみ、ま、当然ですがね

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人類は基本的に保守的であり、それが真っ当である ~その4~

 【20//2013】

私も若い頃は自由主義的な思想でした
そんな私の中で自由主義的な思想に対し懐疑的になる一番大きなきっかけは
自由の国アメリカで生まれた「スタートレック」でした

原作のロッデンベリー自体がこれぞ自由主義者という方
親日家で結婚式は和服で奥さんは文金高島田という出で立ちでした
最初のテレビシリーズなんかもそういう雰囲気はありましたね

スタートレックの”当初”の根底にあったのはまさに自由主義ですね、アメリカらしいです

ただ、TOSの頃はそうでもないのですが、TNGの頃になるとこの理想に綻びが出てくるんですね

正直、TOS自体もそれほど視聴率は高くありませんでした
人気が出たのは放送終了後世界的なスターウォーズなどの成功などにより
SFが認知され、その勢いで、映画版を作ってから人気が出始めたという状況なわけで
で、TOSの俳優も歳を取ってきたのでこれ以上映画を続けるのも厳しいから、新シリーズをというわけですね
ですから、TNGもロッデンベリーの理想や主張が色濃く出た状態でスタートしました
ま、どのシリーズも第一シーズンあたりはキャラ紹介や世界観紹介などが多くなるのであまり盛り上がらないんですが
TNGは第二シーズンになってもあまり人気は出なかったんですね
で、そりゃ単に宇宙を探索してるだけでは人気出ませんよ
SF的には面白いですけどね
特に、TNGのメンバーは艦隊でも超エリートばかりで、艦長も冷静沈着で現代的な艦長
そう、全てが理想で埋め尽くされてるんですね
だた、そこにはドラマは生まれにくいんですよね
SFに興味がないとほぼ興味がわかない
確かに、ヒューマンドラマは普遍かもしれないが、それ一辺倒だと飽きます

そこで出てくるのがスタートレックが生み出した最高のキャラクター、ボーグです
ボーグは、頭お花畑の如く探索、探索、友好、友好と言ってる宇宙艦隊に、現実を突きつけるわけです
最初は、視聴率低下のテコ入れとして出したキャラですが
丁度、ロッデンベリーの影響が少なくなってきた頃でしょうか
所謂「ウルフ359の戦い」が放送されるわけです
この戦いで宇宙艦隊はボロボロにされながらもかろうじて退けるという結果になるわけです
完璧で理想のように見えた艦長もその後の話しで弱さを吐露するわけです
世界も人物も全てが理想通りなら、探索友好と叫べば良いでしょう
ですが、全ての生命体が同じ考えなどあり得ません
誰が考えてもボーグと友好を結べるとは思わないでしょう
これが現実なのです

後に、TNG含め以降のシリーズ全てに関わるリックバーマンも言っていますが
ロッデンベリーが当初思い描いた設定ではドラマは生まれにくかったと言っています
ウルフ359あたりからロッデンベリーの影響が少なくなったのは、単純に本人の健康の問題でしょう
これから2年後?ぐらいにお亡くなりになられますし

宇宙艦隊も探索や友好や平和をうたっていますが、結局は自分達のエゴを押しつけ、利益を追求しているにすぎません
理想の言葉を呪文のように唱えながら、バカな市民を扇動しているに過ぎないのです
それに対して最初にカウンターを食らわせたのが、スタトレ最大最高のキャラ、ボーグなわけです

しかし、私はその宇宙艦隊並びに惑星連邦の思惑は間違ってるとは思えません
自分達の利益を追求するのは当然ですし、ある程度誇張してでも、連邦市民へのプロパガンダも当たり前です
ただ、そういうった本当の所をふせたままの単なるSF表現だけの作品から脱するきっかけが
ウルフ359であり、ボーグであったということです

決定的なのがその後制作される、DS9でしょう
私はスタトレ最高傑作はDS9だと思っています
DS9こそ、自由と友好と平和をうたいながら拡大拡張をし続けるお花畑の惑星連邦への答えだと思っています
最後和平はしますが結局相容れなかったわけです
セクション31は印象的ですね、どんな組織にも当然ありますよ、これを批判する人はちょっと痛いです
ですが、DS9は本国アメリカでは人気があまり無いようですね、まぁ、当然でしょう
その後、私がDS9の次に好きなENTも人気が出ませんでしたが、これも、まぁ、当然でしょう
何が当然か?スタトレはロッデンベリー無き後明らかに反米的な姿勢が多くなったからです
アメリカの象徴である自由主義がドラマの中では実は皮肉られているからですね
まぁ、ドラマとして最終的には丸く収めていますが、内容としては明らかに皮肉っています

あれ?スタトレの話しにおいて、現実を直視して、現実味がある話しを作ると何故反米的、反自由主義的になるのか?
まぁ、自然な事ですね、そういうことなんです

私はだからといって、自由主義的なものがいかなる状況でも全てダメだとは思いません
常に理想は持つべきです、しかし実際はそういった理想を思いつつも、現実的な判断を下さないといけないということです

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人類は基本的に保守的であり、それが真っ当である ~その3~

 【20//2013】

続き

ここまでで、人は共同体の中で生きる社会的な生物であり、それを守っていかなければ生きていけないと言うことは何となく分かるのではないだろうか

では、逆に、リベラル的な思想、最近で言う、自由主義的な思想ではどうなのか
今は新自由主義や設計主義という言い方を良く耳にしますね
実は、新自由主義も共産主義も根っこは同じなのですが(設計主義的な意味で)
ま、そういった自由主義的な思想は、何故人類を滅ぼすのか?

自由主義の方向性として、地球市民、人類・世界みんなお手々繋いで平和な理想郷的なものがあります
そういう方向に進みむには、既存の歴史、文化、民族、人種を破棄し、国家や地域、郷土を解体する必要がありますが、可能でしょうか
ホントに全てを捨てて、人類全てが同時に行動が起こせるでしょうか?思想や価値観をその理想とやらに合わせることなんて可能なのでしょうか

また、現状に何か問題があるから改善しようとするのですが
保守思想というのは、理想を持ちつつも、きっちり現状を分析して
落ち着いてゆっくり物事を改善していきましょうという事です
自由主義的な思想は、設計主義的な所があり、自分達の考えた理想が正しい、こうあるべきというのがあり
それに対して直線的に改善、というよりも寧ろ、改革、いや、全てを破壊して新秩序を作ろうという所があります
過去の歴史、経緯、伝統、現状の分析などはあまり関係しません
とにかく、自分達の理想の世界のために、世の中を変革しようとします

この時点でもう変革、改革という事に疑問を持つはずです

たかが50年前後の人生経験と知識で捻り出した理想が
何十年何百年何千年と失敗を繰り返しながら少しずつ改善してきた何千、何億の人の知恵と経験に敵うものでしょうか
ドイツの政治家大宰相ビスマルク曰く「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という名言がありますが、まさにそうです
また、急激な変化は破滅を滅ぼすのは目に見えています、歴史的にもそうですし
色々な作品で急激に進化や変化をした結果、自ら破滅してしまうという流れをよく見ると思いますが、まさにそうですね

世の中には改革しなければいけない状況もあるでしょうが
それは状況が立ちゆかなくなった場合のみ必要で
例えば、日本のように少なくともみな当たり前に生活できている状況で
至る所に改革が必要なんてあまり無いでしょう

ただ、改革という事が全部が全部問題がある訳ではないですし、ケースバイケースなのは確かで
例えば、物事が活性しすぎた場合おさえるためにそれに関する構造を改革することで活性過剰をおさえる事もありますので

つまり、自由主義的な思想が全部悪いわけでは無いと言うことですね
そういう思想が必要な場合もあるという事です
逆にそれが主体になってしまうと、おかしな方向に進みますよという事です

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